作品解説

ルノワール展担当学芸員が解説する
ルノワール作品の魅力

10章で構成された「ルノワール展」の各章の代表的な作品を
国立新美術館の担当学芸員、横山 由季子が解説します。

第1章
《陽光のなかの裸婦
(エチュード、トルソ、光の効果)》

《陽光のなかの裸婦(エチュード、トルソ、光の効果)》
1876年頃 油彩/カンヴァス 81 × 65 cm オルセー美術館 © Musée d'Orsay, Dist. RMN-Grand Palais / Patrice Schmidt /distributed by AMF

《陽光のなかの裸婦(エチュード、トルソ、光の効果)》はルノワールの作品の中でも、一番印象派らしい作品と言えるのではないでしょうか。実際、第2回印象派展に出展された当時非常に大きな反響を巻き起こしました。特徴的なのは、女性の肌に落ちる光と影の表現で、光が当たっているところはバラ色で表現されていて、影の部分は青、黄色や緑といった絵の具が置かれています。人の肌を影とはいえ、このような色で表現するのは当時の絵画の常識では考えられないことでしたので、作品を見た批評家たちは「まるで腐敗した肉体のようだ」と、とても辛辣な批判を浴びせたりしています。ただ一方で、こういう肌の表現を見て、女性の肌のみずみずしさや生命感を感じ取った批評家もいるので、単に批判されただけではなく、評価する声も当時からありました。

この作品、肌もそうなのですが、裸婦の周りの木々も非常に独特な印象派の手法で描かれていて、絵の具が即興的に置かれています。おそらくカンヴァスの上で下絵なしで描いていったのだと思います。さらに、カンヴァス上で絵の具が混ぜ合わされています。そういう描き方は、当時の絵画の基本であった滑らかな、いわゆるアカデミックな仕上げとは対極にありました。このような作品は、当時、習作のような位置付けだったのですが、ルノワールは習作ではなく、自分の作品として正式に印象派展に出品しています。習作のような描き方をした作品を、かなり戦略的に人々に向けて提示しようという意図が伝わってくる作品ですね。

第2章
《クロード・モネ》

《クロード・モネ》
1875年 油彩/カンヴァス 85 × 60.5 cm オルセー美術館 © RMN-Grand Palais (musée d'Orsay) / Jean-Gilles Berizzi / distributed by AMF

ルノワールはかなり早い頃から、人物を描くことが得意だと考えていました。ただ若い頃はなかなかモデルを雇うお金もなかったので、身近にいる人をモデルに描くことが多かったようです。中でも一番身近な存在だったのが、一緒に制作をしていた印象派の画家たちで、特にモネとは何度もパリ郊外に出かけては一緒にカンヴァスを並べて絵を描いています。2人はそれぞれ二十歳頃にパリのシャルル・グレールのアトリエで出会ってから、30代にかけて一緒に制作を続けていました。2人とも当時のパリで芸術アカデミーが主催していた展覧会であるサロンでなかなか認められず、思うように画家としての道を切り拓くことができなかった中、1874年に第1回の印象派展を開きます。このモネの肖像画は、第1回印象派展の翌年に描かれています。ルノワール34歳、モネは35歳の時ですね。この作品は、モネが引っ越したばかりの、パリ郊外にあるセーヌ河畔のアルジャントゥイユという村にルノワールが訪ねていって、そこで一緒に制作しながらモネをモデルに描いたものだとされています。印象派の黄金期と言ってもいいような時代に描かれており、特にモネの持っているパレットに注目していただくと、黄色や赤といったほとんど原色に近い鮮やかな色が並んでいるのがわかります。

第3章
《草原の坂道》

《草原の坂道》
1875年頃 油彩/カンヴァス 60 × 74 cm オルセー美術館 © Musée d'Orsay, Dist. RMN-Grand Palais / Patrice Schmidt / distributed by AMF

《草原の坂道》も印象派の時代に描かれた風景画です。ルノワール自身は自分を人物画家だと言ってみたり、周りの人からも人物を描くのが得意な画家だと評されていたのですが、1870年代にモネと一緒にパリ郊外に出かけていって制作していた時期は、風景画もたくさん描いています。この作品は広々とした草原に、赤い日傘をさした、おそらく母親と思われる女性とその子供が一緒に歩いている風景を描いた作品なのですが、実はオルセー美術館所蔵のモネの《ひなげし》という作品も同じような景色が描かれているのです。そういったところからも、この時期のモネとルノワールが非常に近い存在だったという事がわかると思います。

ただ、描き方はルノワールとモネでは違っていて、モネが絵の具をそのままカンヴァスに置いて、かなり鮮やかな色で描ききっているのに対して、ルノワールは全体に靄がかかったような柔らかい風合いに仕上げています。なかなか言葉で形容するのが難しいのでぜひ会場で実物をご覧いただきたいのですが、本当に表情に富んだ色彩表現になっています。ルノワールは、戸外で描いた絵が、アトリエに帰って見たときに全然違ったものに見えてしまうと語っています。そのため、自分の作品が室内で展示されるときにも、外で見た効果が失われないように、アトリエでの仕上げを大事にしていたようです。

第4章
《ムーラン・ド・ラ・ギャレット
の舞踏会》

《草原の坂道》
1875年頃 油彩/カンヴァス 60 × 74 cm オルセー美術館 © Musée d'Orsay, Dist. RMN-Grand Palais / Patrice Schmidt / distributed by AMF

《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》は、パリのモンマルトルにあったムーラン・ド・ラ・ギャレットというダンスホールを舞台に描かれた作品です。現在、モンマルトルと言うと、パリの中でも一番かわいらしい石造りの街並みが残っていて、観光客が必ず訪れるような場所なのですが、当時のモンマルトルは、どちらかと言うとパリの外れで、木造の小屋みたいな家が点在するような閑散とした、一般的なパリのイメージからは程遠い片田舎でした。モンマルトルには、ルノワールのようなまだあまりお金のない画家や、日中お針子仕事をしたりして生計を立てる若い女性がたくさん住んでいて、いわゆる労働者階級が多いエリアでした。そこにあるムーラン・ド・ラ・ギャレットは、普段は働いている人々が週末気晴らしにやってきてお酒を飲んだり会話を楽しんだり踊ったりする場所でした。

この作品の中央にいる2人は10代半ばの少女で、右側の机を囲んでいる男性たちは20代の画家、文筆家といったルノワールの友人たちなのですが、そういった若いモデルたちにポーズをとってもらい、それぞれの人物を最終的にルノワールはアトリエで組み合わせて、この大作を仕上げたと言われています。この絵を描いたときルノワールは35歳でしたので、自分よりひとまわりほど若い世代のモデルたちを描いているということになります。ルノワールにとっては過ぎ去った青春の一コマをこういった形で作品に残したのではないでしょうか。

全体の印象としては、青が美しい作品だと感じます。印象派の時期のルノワールの一つの特徴として、影を青い絵の具の表現するという点があるのですが、この作品でも左側の地面に落ちる影はすべて青い色で表現されているので、全体的に青に包まれたような印象受けますね。

そして何よりも木漏れ日を描くということに、ルノワールは関心があったようです。例えば手前の椅子に座っている男性の背中のところに、斑点のように光が落ちていたり、木にもたれかかっている男性の背中のところにもやはり強い光が落ちていたり、本来の服の色をそのまま描いているわけではなくて、光が落ちた時にどういう効果が生まれるかということをルノワールは色々試していたのではないでしょうか。ここでは、青い影や、木漏れ日の表現など、印象派の時期の一番特徴的な技法が駆使されている一方、作品のモティーフとしてはルノワールと同時代を生きた人々をモデルに彼らが生き生きと過ごしている場面が描かれていて、技法の面から見ても、主題の面から見ても、本当に印象派時代のルノワールの傑作というにふさわしい作品だと思います。

第5章
デッサン

《座る裸婦》あるいは《身づくろい》
1890年頃 鉛筆、白チョーク、サンギーヌ、 擦筆/厚紙 62 × 51 cm オルセー美術館 © Musée du Louvre, Dist. RMN-Grand Palais / Martine Beck-Coppola

この章は作品を1点だけ選ぶのが難しいので、ルノワールにとってのデッサンというテーマでお話ししたいと思います。ルノワールは、やはり印象派の画家というイメージが強いと思うのですが、画業全体からみると印象派の時期は、長く見積もっても15年ぐらいだと思います。その後は印象派とはまた別の道を歩むようになります。ルノワールの回想によると1880年代初頭、危機が訪れたと語っています。印象派の技法を極めつくした結果、その先に進めなくなってしまったのです。その危機に陥ったときに、ルノワールが取り組み始めたのが、デッサン、とりわけ裸婦のデッサンでした。実はルノワールは危機の時代に先立って、1881年に初めてイタリアを訪れています。そこでポンペイの壁画やルネッサンスの巨匠、ラファエロの絵画を見たりして、過去の巨匠から多くのことを学んだようです。そしてイタリアで学んだことを持ち帰り、フランスで培った印象派の光の表現も大事にしながら、きちんとしたデッサンや肉付けに基づいた作品を描こうと決意しました。《座る裸婦》あるいは《身づくろい》という作品は、無数に描かれたデッサンの中の一枚なのですが、少し温かみのある色の紙に、鉛筆と白チョークとサンギーヌ(赤いチョークのようなもの)を使って裸婦をデッサンしています。デッサンと言うと鉛筆でちゃんと輪郭をとって陰影をつけて…と思い浮かべると思うのですが、ルノワールのこのデッサンでは、画材自体にすでに色がついていて、そういった画材の持つ柔らかさを活かして裸婦の形をとらえると同時に、肌の柔らかさを描こうとしているようです。

第6章
《道化師(ココの肖像)》

《道化師(ココの肖像)》
1909年 油彩/カンヴァス 120 × 77 cm オランジュリー美術館、ジャン・ヴァルテル& ポール・ギヨーム・コレクション © RMN-Grand Palais (musée de l'Orangerie) / Franck Raux / distributed by AMF

ルノワールには3人息子がいるのですが、一人目の子どもを授かったのは44歳の時でした。ルノワールは画家として円熟期を迎えた頃に、自分の息子たちという新しい描く対象を得ることになります。ですので、この時期のルノワールは、たくさん自分の息子をモデルに描いていて、とりわけここに描かれている三男で末っ子のクロードは、約70点の作品でモデルをつとめています。この作品は縦120cm、横77cmという大きな作品で、これが描かれたときクロードは7歳か8歳ぐらいでしたので、おそらくほぼ等身大の大きさで描かれているのではないかと思います。想像していただければわかるとおり、その歳の小さな子どもが絵のモデルに何十分もじっとしていられるかというと、なかなか難しかったようで、しかもここでは普段着ないような道化師の衣装を無理やり着せられ、特に白いタイツがチクチクして、履くのを嫌がったクロードがすごく抵抗したというエピソードが残っています。

この作品を描いた時期、ルノワールはリウマチで腕もそんなに大きくは動かせず、歩くことも難しくなっていたようで、椅子に座ったままカンヴァスの位置を調整できる装置を作って、この大作を仕上げたので、随分と大変だったようです。でも、この作品を見ると、そういった苦労の跡は全く感じられず、鮮やかな道化師の赤い衣装が目を引く作品になっています。

第7章
花の絵

《桟敷席に置かれたブーケ》
1880年頃 油彩/カンヴァス 40 × 51 cm オランジュリー美術館、ジャン・ヴァルテル&ポール・ギヨーム・コレクション © RMN-Grand Palais (musée de l'Orangerie) / Franck Raux / distributed by AMF

7章は花の絵の章ですので、ルノワールにとっての花について話したいと思います。花はルノワールにとって本当に特別なモチーフでした。ルノワールは「花を描くと頭が休まります。モデルと向き合う時の精神の緊張とは別ものなのです」というふうに語っています。いつでもそばにあって、自由に描くことができ、色彩を実験することもできるモチーフとして、花は格好の素材だったのだと思います。そういうルノワールのことを理解して、妻のアリーヌも家に花は絶やさないようにしていたそうです。ルノワールが一番好んだ花はバラで、バラの花を描くことで、女性の肌の研究にもつながると考えていました。花びらの質感や、赤から白へと至る色彩といったところが、女性を描くときにも役に立ったのではないかと思います。

第8章
《ピアノを弾く少女たち》

《ピアノを弾く少女たち》
1892年 油彩/カンヴァス 116 × 90 cm オルセー美術館 © RMN-Grand Palais (musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF

この作品はルノワールの作品の中で、そして、ルノワールだけではなく印象派全体の作品の中で、初めてフランス国家に買い上げられた作品として知られています。というのも、やはり当時、印象派というとまだまだわけのわからない絵だと思われていたので、印象派の作品が国の所蔵として美術館に入るのは、なかなか難しかったのです。ですが、ルノワールと非常に親しかった詩人のマラルメと、批評家のロジェ・マルクスの尽力により、この作品は国家に買い上げられました。最初は、同時代の作家の作品を収める美術館であったリュクサンブール美術館に所蔵されて、現在ではオルセー美術館に保管されています。描かれているのはブルジョワの家庭の2人の少女がピアノを弾いている場面ですね。当時ピアノが非常に流行していたようで、ブルジョワの家庭なら必ず1台はあって、アパルトマンに行くと上の階からも下の階からも隣の部屋からもピアノの音が聞こえてきてたというような状況だったようです。ですので綺麗な部屋の中で少女たちがピアノを弾く光景というのは、当時の人々にとって馴染みのある場面でした。ルノワールはそういった場面をパステル調の非常に柔らかな色彩で描いています。当時、こういった絵はよく売れたようで、ルノワールもたくさん描いているのですが、《ピアノを弾く少女たち》については、これは売るための絵だと皮肉めいたことも言っています。その一方でこの絵が国家に買い上げられる時に尽力したマラルメは、ルノワールの円熟期の作品として「決定的な絵画」であると讃えています。

第9章
《薔薇を持つガブリエル》

《薔薇を持つガブリエル》
1911年 油彩/カンヴァス 55.5 × 47 cm オルセー美術館 © Musée d'Orsay, Dist. RMN-Grand Palais / Patrice Schmidt / distributed by AMF

このガブリエルという女性は、ルノワールの妻のアリーヌの従姉妹で、アリーヌが次男のジャンを身ごもった時に、長男の世話もあって大変だというので呼ばれて、ルノワール家で子供の世話をしたり、家事を手伝ったりするようになりました。彼女は、この絵を見ていただいてもわかるとおり、非常に堂々とした体つきをしていて、しかもルノワールが言うところには、光をしっかりと吸い込む肌というのを持っていたそうなんです。ルノワールにとっては、そういう肌が、絵画を描くときには非常に理想的だったようで、このガブリエルが来てから、晩年にかけておよそ200点近くの作品にガブリエルを描いています。自分の息子たちよりも断然多いですね(笑)。この時期のルノワールは、リウマチで筆を手にくくりつけて描くような状況だったんですけど、そうして描くときの準備や世話もガブリエルがしていたようです。

第10章
《浴女たち》

《浴女たち》
1918-1919年 油彩/カンヴァス 110 × 160 cm オルセー美術館 © RMN-Grand Palais (musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF

ルノワールはリウマチの悪化もあり、1907年、66歳の時に温暖な気候の南フランスのカーニュというところに広大な土地を購入して、そこに家を建てました。《浴女たち》もそこで制作された作品です。この時期のルノワールはリウマチのせいで、ほとんど手が動かせなくなっていたので、絵筆を手にくくりつけて描いていました。そう考えると110cm×160cmというカンヴァスの大きさは、本当にすごいことだなと思います。しかもルノワールは、この作品を描きあげた数ヶ月後にこの世を去っているので、最晩年の一番の大作といえる作品です。描かれているのは、カーニュの緑豊かな自然の中に横たわる2人の裸婦ですが、こういった場面が現実にあったわけではなく、実際の自然と、ルノワールにとって重要なモチーフだった裸婦を組み合わせて、生み出された作品だと思います。

この作品では、まず最初に少し光沢のあるシルバーホワイトでキャンバス全体に下塗りをして、その上に油で非常に薄く溶いた絵の具を塗り重ねて、木々のきらめきや、裸婦の肉付き、ボリュームを表現しています。一番下の層に明るい色を使っているので、作品の前に立つと絵の中から光っているような印象を受けます。色彩も本当にみずみずしいという表現がぴったりです。この作品が描かれてから、かれこれ100年ほどは経っているのですが、とてもそんなに時を重ねたとは思えない鮮やかな色彩を留めています。

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