展覧会の構成

1章
印象派へ向かって
本展は、ルノワールの印象派への歩みを示す2点の輝かしい作品で幕を開けます。磁器の絵付け職人を経て、パリの国立美術学校(エコール デ ボザール)や私設のアトリエで絵画を学んだ若きルノワールは、モネやシスレーとの出会いを通して、新しい絵画を志すようになりました。《猫と少年》には、歴史や神話といった主題を捨て、日常を率直に描写した先輩画家クールベやマネの影響がうかがわれます。そして5年後に制作された《陽光のなかの裸婦(エチュード、トルソ、光の効果)》には、戸外の光、大胆な筆触、色彩を帯びた影といった印象派の美学が凝縮されています。
《猫と少年》

《猫と少年》

1868年 油彩/カンヴァス 123.5 × 66 cm
オルセー美術館
© Musée d'Orsay, Dist. RMN-Grand Palais / Patrice Schmidt /distributed by AMF

本作における、理想化の拒否や神話的主題の不在、青白い肌は、ルノワールが称賛していたマネの裸婦にも見られる特徴。モデルの少年の出自は不明ですが、ルノワールによる極めてまれな男性裸体画です。

《陽光のなかの裸婦(エチュード、トルソ、光の効果)》

《陽光のなかの裸婦(エチュード、トルソ、光の効果)》

1876年頃 油彩/カンヴァス 81 × 65 cm
オルセー美術館
© Musée d'Orsay, Dist. RMN-Grand Palais / Patrice Schmidt /distributed by AMF

モンマルトルのアトリエの庭でポーズを取る女性。第2回印象派展に出品された本作は、肌の上にまだらに置かれた緑と紫が物議をかもした一方、みずみずしい色彩には好意的な批評も集まりました。

2章
「私は人物画家だ」: 肖像画の制作
早い時期から「人物画家」であると自負していたルノワール。初期にはパトロンや親しい仲間の肖像を描き、何より女性の肖像画に長けていました。モデルは、モンマルトル界隈の若い労働者から、社交界の有名人までさまざま。こうした肖像画は、小説家マルセル・プルーストによる美しい賛辞を生みました。「たちまち世界は(世界は一度だけではなく、独創的な芸術家が現れた回数だけ創造されたのだ)、私たちの目に、古い世界とはまるで違って見える。女たちが街の中を通る、以前の女たちとは違う、つまりそれはルノワールの女たちというわけなのだ」(『失われた時を求めて』より)。
《クロード・モネ》

《クロード・モネ》

1875年 油彩/カンヴァス 85 × 60.5 cm
オルセー美術館
© RMN-Grand Palais (musée d'Orsay) / Jean-Gilles Berizzi /
distributed by AMF

モネとルノワールは1860年代初頭に出会い、印象派時代の仲間として、その友情は生涯続きました。本作は、お互いが最も影響を与え合った時期の1点で、仕事着を着て制作に励むモネの姿が描かれています。

《読書する少女》

《読書する少女》

1874-1876年 油彩/カンヴァス 46.5 × 38.5 cm
オルセー美術館
© RMN-Grand Palais (musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski /
distributed by AMF

モデルは、1870年代半ばの作品に多く登場する、モンマルトル出身の少女マルゴ。彼女が若くして命を落としたとき、画家は嘆き悲しみました。繊細に重ねられた色彩が、光を浴びた少女を浮き彫りにしています。

3章
「風景画家の手技(メチエ)
その画業を通じてルノワールは風景画にも力を注ぎ、特に1870年代には、油彩作品の4分の1を風景が占めています。また、1880年代に外国を旅したことによって、新しい場所が作品に現れるようになります。室内で完成されるとしても、彼にとって風景画とは戸外のものでした。「アトリエの和らいだ光の中では想像すらできない色調を用いるようになる。風景画家の手技(メチエ)とは何というものだろう! […]天気が変わってしまうから、10枚のうち完成できるのは1枚だけだ」。こうした困難にもかかわらず、画家は「自然との取っ組み合い」を断念することはありませんでした。
《イギリス種の梨の木》

《イギリス種の梨の木》

1873年頃 油彩/カンヴァス 66.5 × 81.5 cm
オルセー美術館
© Musée d'Orsay, Dist. RMN-Grand Palais / Patrice Schmidt / distributed by AMF

《草原の坂道》

《草原の坂道》

1875年頃 油彩/カンヴァス 60 × 74 cm
オルセー美術館
© Musée d'Orsay, Dist. RMN-Grand Palais / Patrice Schmidt / distributed by AMF

「風景なら、その中を散歩したいと思わせるような絵が好きだ」と語ったルノワールにふさわしい作品。子どもを連れて坂道を降りてくる女性の日傘と、ひなげしの深紅色が、草原の緑とコントラストをなしています。

4章
“現代生活”を描く
1863年の有名な評論「現代生活の画家」のなかで詩人ボードレールは、画家が描くべきは過去ではなく現在であると主張し、「移ろいやすく、儚く、ささやかなもの」を捉える素早い描写を称賛しました。ルノワールが描いた現代は、ダンスホールや酒場、カフェ、郊外の舟遊びといった、 19世紀のパリ生活に特徴的なものばかり。小説家のゾラは、そんなルノワールの作品を「現代的な側面の幸福な探求」と形容しました。
この章は、モンマルトルの庭や、パリ郊外のセーヌ河畔での余暇を描いた作品からはじまります。そして、画家が生きた時代への関心を最もよく示すのが、他ならぬ《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》。 140年前に描かれたこの絵は、ダンスホールで陽気に踊る市井の人々の喜びを今に伝えてくれます。本作の理解を深めるために、同様のモティーフを描いた同時代の作品に加え、画家の次男で映画監督のジャン・ルノワールによる映画も紹介します。最後に、画家が舞踏会というテーマに長く魅了された証である、2点のダンスの大作で本章を締めくくりましょう。
1
「現代的な側面の幸福な探求」
《ぶらんこ》

《ぶらんこ》

1876年 油彩/カンヴァス 92 × 73 cm
オルセー美術館
© Musée d'Orsay, Dist. RMN-Grand Palais / Patrice Schmidt / distributed by AMF

当時ルノワールはモンマルトルのコルト通りにアトリエを借りていました。その裏手にあった木の生い茂る庭でぶらんこに乗る、流行のドレスに身を包んだ娘ジャンヌ。彼女は画家お気に入りのモデルでした。紫がかった青い影と、木漏れ日が織りなす美しい日常のひとこま。

《アルフォンシーヌ・フルネーズ》

《アルフォンシーヌ・フルネーズ》

1879年 油彩/カンヴァス 73.5 × 93 cm
オルセー美術館
© RMN-Grand Palais (musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF

遠方にセーヌ川を望むテラスに座るのは、パリ郊外の行楽地シャトゥーに今も残るレストラン“フルネーズ”の主人の娘。精妙な色合いと、淡く軽やかなタッチによるやわらかな質感が特徴的です。

2
モンマルトル、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会にて

ムーラン・ド・ラ・ギャレットとは?

パリの北にあるモンマルトルの丘で、使われなくなった2台の風車(ムーラン)のふもとに、1855年にオープンしたダンスホール。小麦と牛乳の焼き菓子(ギャレット)が人気を呼び、この名で呼ばれるように。日曜日には、午後3時から真夜中まで、広い庭でダンスパーティーが開かれました。息子ジャンが父の思い出を綴った『わが父ルノワール』によると、母親が働いているあいだ一人きりになる子どもたちを見て託児所を作ろうと思い立ったルノワールは、ムーラン・ド・ラ・ギャレットで資金を募るための仮装舞踏会を催したそうです。

アンリ・リヴィエール《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》
アンリ・リヴィエール《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》
1885-1895年 オルセー美術館
© Musée d'Orsay, Dist. RMN-Grand Palais / Patrice Schmidt / distributed by AMF
地図
《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》

《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》

1876年 油彩/カンヴァス 131.5 × 176.5 cm
オルセー美術館
© Musée d'Orsay, Dist. RMN-Grand Palais / Patrice Schmidt / distributed by AMF

モンマルトルのダンスホールで、踊りや会話に興じる若い男女。ルノワールは、人々の喜び、着飾った姿、彼らを包む光を、1枚の絵に結晶させています。同時代の風俗という主題と、細やかなタッチで木漏れ日を描く技法が融合した、印象派時代の傑作と呼ぶにふさわしい作品です。《ぶらんこ》とともに第3回印象派展に出品され、大きな話題を集めました。

モデルはモンマルトルの娘や友人の画家たち

中央のベンチに座るのは仕立屋で働く娘エステル、彼女に寄り掛かる姉ジャンヌは、《ぶらんこ》(4章-1)でもモデルをつとめました。《読書する少女》(2章)に描かれたマルゴは、画面左でピンク色のドレスを着て踊っています。彼女の踊りの相手や、手前のテーブルを囲む男性は、ルノワールの画家仲間たち。そして、画面右端に座るカンカン帽の青年、印象派を擁護した批評家のジョルジュ・リヴィエールは、この作品に惜しみない賛辞を贈りました。「これは歴史の1頁であり、パリっ子の生活の貴重な、極めて正確な記録である。ルノワールより以前には誰もこういった日常の出来事をこれほどの大作の主題として取り上げることを思いつかなかった」。

モンマルトル、コルト通りのアトリエ 1904年撮影 ©Bridgeman Images/PPS通信社
3
ダンス
《田舎のダンス》

《田舎のダンス》

1883年 油彩/カンヴァス 180.3 × 90 cm
オルセー美術館
© RMN-Grand Palais (musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF

《都会のダンス》でシルクの夜会服をまとう女性は、ユトリロの母として知られ、のちに画家として活躍する、17歳のシュザンヌ・ヴァラドン。けがでサーカスをやめ、モデルになりました。《田舎のダンス》で木綿の晴れ着姿で踊る娘は、のちにルノワールの妻となるアリーヌ・シャリゴ。当初はいずれもヴァラドンが描かれる予定でしたが、シャリゴが嫉妬したのだとか。この頃、印象派の限界を語っていたルノワールでしたが、背景から浮かび上がるような人物の描写には、その先へ進もうとしていたことがうかがわれます。

《都会のダンス》

《都会のダンス》

1883年 油彩/カンヴァス 179.7 × 89.1 cm
オルセー美術館
© RMN-Grand Palais (musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF

5章
「絵の労働者」: ルノワールのデッサン
印象派の画家たちは、素早いタッチで、見たものを直接描くという美学を絵画に持ち込むことで、伝統的な方法やヒエラルキーを覆しました。その一方でルノワールは、印象を描きとめ、構成を練り、新しいアイデアを試すためのデッサンにも熱心に取り組んでいます。また若い頃、磁器の絵付け職人として腕を磨いた彼は、画家になっても地道な修練をおろそかにしませんでした。ある日、文学者たちとの昼食の席で、彼はこんな風に語ったそうです。「結局のところ、私は自分の手で働いているよ。だから労働者さ。絵の労働者だね」。
《座る裸婦》あるいは《身づくろい》

《座る裸婦》あるいは《身づくろい》

1890年頃 鉛筆、白チョーク、サンギーヌ、
擦筆/厚紙 62 × 51 cm
オルセー美術館
© Musée du Louvre, Dist. RMN-Grand Palais / Martine Beck-Coppola

1880年以降、古典的伝統に関心を示すようになったルノワールにとって、裸婦は恰好のモティーフでした。このデッサンは、彼が敬愛する18世紀ロココの画家も多用した、赤くやわらかな素材サンギーヌで描かれています。

《ルノワールの絵具箱とパレット》

《ルノワールの絵具箱とパレット》

絵具箱、パレット、絵具皿、容器、筆、
パレットナイフ、チューブ入り油絵具 
37 × 44 × 8 cm
オルセー美術館
© RMN-Grand Palais (musée d'Orsay) / Gérard Blot / distributed by AMF

6章
子どもたち
ルノワールが子どもを描いた作品には、《ジュリー・マネ》のように注文に応えたものと、3人の息子ピエール、ジャン、クロードをモデルに自発的に描いた作品という、2つの種類があります。子どもたちは、幾度となく彼らを描き出す父の絵筆のもとで成長していきました。のちにジャンは、家庭を持ったことがルノワールの制作にとってどれほど重要であったかを強調しています。「夢中になって息子をデッサンしながらも、自分自身に対して忠実でありたいと願っていたから、この生まれたばかりの肉体のビロードのような感触を表現するという単に外面的な関心を超えて、自分の内的世界を再構築しはじめていたのだ」。
《ジュリー・マネ》あるいは《猫を抱く子ども》

《ジュリー・マネ》あるいは《猫を抱く子ども》

1887年 油彩/カンヴァス 65.5 × 53.5 cm
オルセー美術館
© RMN-Grand Palais (musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF

ジュリーの両親であるベルト・モリゾとウジェーヌ・マネ(エドゥアール・マネの弟)は、9歳の愛娘の肖像画をルノワールに依頼しました。夫妻が相次いで世を去ったとき、マラルメとルノワールがジュリーの後見人となっています。

《道化師(ココの肖像)》

《道化師(ココの肖像)》

1909年 油彩/カンヴァス 120 × 77 cm
オランジュリー美術館、ジャン・ヴァルテル&
ポール・ギヨーム・コレクション
© RMN-Grand Palais (musée de l'Orangerie) / Franck Raux / distributed by AMF

モデルは、ココの愛称で知られる三男クロード。この頃ルノワールはリウマチにより腕を大きく動かせなくなっていたため、イーゼルに滑車を取り付けてカンヴァスの位置を調整し、この等身大に近い作品を仕上げました。

7章
「花の絵のように美しい」
かつてルノワールは、ドラクロワによる戦闘図を目にして「花の絵のように美しい」と称えました。彼にとって花の絵は美の基準だったのです。同時に、それは絵画市場の需要に応えるための制作であり、友人たちへの贈り物であり、実験の場でもありました。「花を描くと頭が休まります。モデルと向き合うときの精神の緊張とは別物なのです。花を描くとき、私は1枚のカンヴァスを失うことを恐れずに、さまざまな色調を置き、色を大胆に試みます。こうした試行錯誤から得られた経験を、他の絵に応用するのです」とルノワールは打ち明けています。
《桟敷席に置かれたブーケ》

《桟敷席に置かれたブーケ》

1880年頃 油彩/カンヴァス 40 × 51 cm
オランジュリー美術館、ジャン・ヴァルテル&ポール・ギヨーム・コレクション
© RMN-Grand Palais (musée de l'Orangerie) / Franck Raux / distributed by AMF

8章
《ピアノを弾く少女たち》の周辺
少年時代、聖歌隊に入っていたルノワールは音楽を愛し、音楽家や音楽評論家とも交流しました。《ピアノを弾く少女たち》は、印象派の画家による作品の中で、当時の現代美術館ともいうべきリュクサンブール美術館が1892年に購入した、最初の絵画です。ルノワールの友人である詩人マラルメと批評家ロジェ・マルクスの尽力により実現しました。制作依頼を受けて描かれた6点のヴァージョンのうち、美術長官によって選ばれ、国家が購入したのが、現在オルセー美術館が所蔵する本展の出品作です。中産階級の娘を描いたこの時期の作品には、理想化された構図と、調和のとれた色彩が特徴的です。
《ピアノを弾く少女たち》

《ピアノを弾く少女たち》

1892年 油彩/カンヴァス 116 × 90 cm
オルセー美術館
© RMN-Grand Palais (musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF

本作が国家買い上げとなったあと、ルノワール自身は、最後と思われるこのヴァージョンに手を入れすぎたと感じていたようですが、穏やかな色彩や絹のような質感は、画家としての成熟を感じさせます。

《ピアノを弾くイヴォンヌとクリスティーヌ・ルロル》

《ピアノを弾くイヴォンヌとクリスティーヌ・ルロル》

1897-1898年頃 油彩/カンヴァス 73 × 92 cm
オランジュリー美術館、ジャン・ヴァルテル&ポール・ギヨーム・コレクション
© RMN-Grand Palais (musée de l'Orangerie) / Franck Raux / distributed by AMF

この姉妹の父、ルノワールの友人で画家のアンリ・ルロルは、美術品収集家でもあり、背後の壁にはドガによる踊り子と競馬の絵が掛けられています。音楽も愛好した彼のサロンには、ドビュッシーも出入りしました。

9章
身近な人たちの絵と肖像画
ルノワールは生涯を通じて、注文に応える一方、身の周りからもモデルを見つけ出す、熱心な肖像画家でした。後年に描かれた人物画や肖像画の特徴は、ゆったりとした形と入念な彩色。画商ヴォラールは、画家が家事手伝いの娘に唯一求めたのは、「光をしっかりと吸い込む肌」だったと回想しています。妻アリーヌが次男ジャンを身ごもったときに呼び寄せた遠縁の娘ガブリエルは、その後20年間、晩年の画家のよきモデルとなって200点近くの作品に登場しています。触覚的で愛撫するような絵筆は、親密な感情とともに、肌の色合いや衣服の質感を描き出す画家の喜びを伝えています。
《薔薇を持つガブリエル》

《薔薇を持つガブリエル》

1911年 油彩/カンヴァス 55.5 × 47 cm
オルセー美術館
© Musée d'Orsay, Dist. RMN-Grand Palais / Patrice Schmidt / distributed by AMF

10章
裸婦、「芸術に不可欠な形式のひとつ」
ルノワールは、画業のはじめの1860年代には裸婦に取り組んでいましたが、続く10年間はあまり描かず、再びこの「芸術に不可欠な形式」に戻ってきたのは、1880年代のことです。彼はラファエロやティツィアーノ、ルーベンスといった過去の巨匠たちと競いながら、神話ではなく地上を舞台に裸婦像を描きました。その背景となったのは、画家が1907年に広大な土地を購入して住みはじめた南フランスのカーニュ。このアルカディアの地で画家は、悪化するリウマチ、第1次世界大戦に従軍した息子たちの負傷、妻アリーヌの死に直面しながら、「最善を尽くしきるまでは死ぬわけにいかない」と、裸婦の大作に挑み続けました。
《横たわる裸婦(ガブリエル)》

《横たわる裸婦(ガブリエル)》

1906年頃 油彩/カンヴァス 67 × 160 cm
オランジュリー美術館、ジャン・ヴァルテル&ポール・ギヨーム・コレクション
© RMN-Grand Palais (musée de l'Orangerie) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF

《大きな裸婦》あるいは《クッションにもたれる裸婦》

《大きな裸婦》あるいは《クッションにもたれる裸婦》

1907年 油彩/カンヴァス 70 × 155 cm
オルセー美術館
© RMN-Grand Palais (musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF

横たわる裸婦という主題は、ルノワールが敬愛していたティツィアーノにまで遡り、19世紀には、アングルやマネがそれを再解釈した作品を残しています。東洋趣味の背景に裸婦を描く「オダリスク」の主題も流行しましたが、ルノワールはそういった要素は暗示するだけにとどめて、カーニュのアトリエに設えられたベッドに寝そべる、気だるげで官能的な裸婦を描きました。

《水》または《しゃがんで洗濯する女(大)》

ピエール・オーギュスト・ルノワールとリシャール・ギノ(1890-1973)

《水》または《しゃがんで洗濯する女(大)》

1917年? ブロンズ、アレクシス・リュディエによる鋳造
123 × 69 × 135 cm
オルセー美術館
© RMN-Grand Palais (musée d'Orsay) / Adrien Didierjean / distributed by AMF

ルノワールが、彫刻家リシャール・ギノの協力のもと制作した一連の洗濯する女の彫像のうち、最も大きな1点。画家は、1888年に川辺で洗濯する農婦を描いてから20年の時を経て、再びこの主題に彫刻として形を与えました。

《浴女たち》

《浴女たち》

1918-1919年 油彩/カンヴァス 110 × 160 cm
オルセー美術館
© RMN-Grand Palais (musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF

この大作はルノワールの人生における最後の数か月に制作されました。リウマチで動かなくなった手に括り付けられた絵筆は、その苦闘を思わせないほど軽やかに、豊かな緑と薔薇色の裸婦を描き出しています。晩年の彼と親交のあったマティスは本作を「最高傑作」と称え、ルノワール自身も「ルーベンスだって、これには満足しただろう」と語ったとされています。

 

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